晴れても屋根の下

TRPGに関する考え事をこまごま。

楽しみ方の話

TRPGの楽しみ方というのはそれぞれあると思います。
たとえば、データを読み込むか否か、PC発言の形式、戦闘が楽しいとか会話が楽しいとか。違いがあってもセッションは一緒に楽しめるし、お互いの楽しい部分を分かち合ったり、バランスを取ったりするのも、知的な(頭を使う、という意味での)遊びの一部なのかなと思ったりもするんですが。
ここ暫く遊んでいて時折感じた違和の正体が、もしかしたら「キャラクター同士の関係の変化を求めているか否か」という部分なのかな、というところで落ち着いて来たので、その話です。

とても個人的な話ですが、自分はTRPGの面白さが「お話づくり」にあると思っています。
同じシナリオでも参加するPCが違えば展開も結末も違う、ランダマイザがあるがゆえに思い通りにいかなかったり、あるいはうんとドラマチックになったりする。人間同士で遊ぶからこそ言い間違いや身振り手振りなんかの要素まで物語や雰囲気に影響して、真剣なのに笑えたり、面白いのにカッコ良かったりする。
そういうところを好んでいるので、PLレベルでは一緒に楽しく遊べるよう配慮はした上で、PC同士が対立したり、好き合ったり嫌いあったりするのがとても好きです。セッションの前と後でPCの関係やお互いの印象、PC自身の考え方が変わっていたりすると、とても楽しいなーと思います。


一方で、そういうキャラクター同士の関係を重視しない人もいるんだよなーと、最近しみじみ実感しています。
たとえば同じPCで夢オチのシナリオを複数本プレイする、といった遊び方。夢の世界で目覚めたら即座に身の周りを調べ、メタ視点での推測やPL知識を使って謎を解くのを最優先に進めていくタイプのプレイもありますよね。
選択肢がコマンドで限定されてしまうコンシューマーRPGと、想像の数だけ行動の選択肢がとれるTRPG、という比較の仕方はよくされるので、何でも試せる探索ゲームという側面が存在するのも、その部分が楽しいというのも分かります。だからたぶん、そうした遊び方も間違いではなくて、だけどそれだけじゃ物足りない、勿体無いと思ってしまう自分も居まして。
PC同士で絡みたい、不思議な状況には反応もしたいし原因も考えたいタイプのプレイヤーとしては、「駒を使った探索ゲーム」のようだなーと思ってしまうわけです。

……これ、結局は棲み分けが必要だという話なのかなーと思わないでもないんですが、少なくもないけど多くもない同好の士、一緒に楽しむ方法もあればなァと思うのです。

雰囲気:自然と故意とに拘わらず

ホラーのシステム/シナリオを遊んでいるときの卓の雰囲気って、どういう感じなんでしょう。

 

クトゥルフ神話TRPG」が人気な昨今、仲間内でも「クトゥルフやりたい!」という希望を出してくれた人がいまして、それを切っ掛けにルールブックを購入し、複数回遊んでいます。

とはいえホラーシナリオの経験はGMでもPLでも多くなく、ホラー系統のリプレイも読んだ数が少なくて自分の中で情報が乏しいので、何がスタンダードなのかが分からず試行錯誤の最中です。行動の動機付けとか、調査に乗り出す理由とか、「舞台は異世界ファンタジー、PCは冒険者!」というジャンルとはガラッと変わるんだなーとしみじみ。

 

そしてホラーのシステム/シナリオを遊んでいて、今まであまり気にしていなかったことが気になったりもしています。

それが、GMの演出に対するPLの反応です。

 

ホラー系統のシナリオを遊んでいると、PCが無残なもの不気味なものを目にしたり、GMがそういうものを演出したり、ということがあると思います。

そうしたシーンで、PLの反応はどんなタイプが多いものなんでしょう。

PLもPCと一緒に怖がる? それともPLは怖がっていなくて冷静? あるいは笑っている?

GMの側からすると、居てくれるとやりやすかったり、嬉しかったりするのは「怖がってくれるタイプ」なのかなーと思います。GM一人でホラーを演出するより、PL側も「怖い」という雰囲気を出してくれた方が盛り上がりやすいし、自分で考えたこと、工夫したことに反応がもらえる喜びというのは、GMの醍醐味の一つでもありますよね。

PLの側からすると、……どうなんでしょう。個人的には、GMがPLを楽しませようとしてくれるようにPLとしてもGMを楽しくやってもらいたい、だからホラーな演出には怖がるロールプレイを返したい、という気持ちがあるんですが、そこを行くと論点はPLの反応ではなくPCとしての反応であるように思います。あるいは、PLの反応をどれくらいPCに反映させるか、の問題でしょうか。

 

この話を突きつめると、GMを含め参加者がどんなセッションをしたいのか――ホラーな展開にドキドキしながらも生還や真実を求める冒険がしたいのか、あるいは追い詰められても動じないタフなキャラクターが脅威を打ち倒す結末を描きたいのか――によるよなーという気もしつつ。

ホラーシナリオを遊んでいる卓の見学をしてみたいという気持ちがむくむく育っています。

 

あるいは吉日

TRPGが好きです。

思い返せばおそらくは小学6年生、深沢美潮先生の『フォーチュン・クエスト』でTRPGというゲームの存在を知り、好きなものを題材にして遊んでいたのが始まりでした。

そこから優に10年以上、色んなシステムに出会っては遊びたくなり、人を集め、頻繁にとは言えないもののなんだかんだでセッションの経験を積んできてはいる――のですが。どうにも拭えぬ疑問があります。

 

声を掛ければ一緒に遊んでくれる友人はいる。ありがたいことです。

セッションが始まればそれに参加してくれる、それなりに楽しんでくれてもいる様子、次回の予定を挙げれば応じてくれる。

けれどその、言うなれば「誘われる側」、「受動的な参加者」から一歩踏み出してこちらに来てほしいというのは、贅沢な話でしょうか。

ルールブックを軽くでも見ておいてほしい、世界設定を基本だけでも知っておいてほしい、なんなら「知らないから説明して」って要求してくれるのでもいい。一緒に遊ぶためのアプローチを求めるのは、過度な期待というものでしょうか。

 

……自分がTPRGを好き過ぎるんだろうなーと思わないでもないのですが。笑。

自分の気持ちを分析してみると、「TRPG初めてです」という参加者がいるときに当日顔を合わせてから説明をスタートするのは苦ではなくて、それはなぜかと言えば、「なるべく敷居を下げてあげたい、まずは体験してみてもらいたい」という気持ちの方が強いからだと思います。負担は自分が引き受けて、初心者さんには楽しいところだけ味わってもらおう、という考え。

そして自分が実行できていないのは、その「まずは自分(=GM)が」で引き受けた負担を、プレイグループとして継続して一緒に遊んでいくなかで、PLに分担して請け負っていってもらうという点――……なんだろうなあ。

更に言うなら、セッションを楽しみにして当日までに色々動いているのが自分だけのように感じられて「寂しい」というのもあるんだろうと思います。

 

と、ここまで考えて、自分の中でも様々絡みあっていることがよーく分かってきたので、ひとまずは考えられる問題点を挙げて、今後に放り投げる形で締めておきます。

 ・実はPLがさほど楽しめていないのでは?

 ・世界観をどの程度把握しておくかはプレイングスタイルの差?

 ・負担に偏りがあるという認識の有無

 ・プレイグループ内での年齢差による遠慮やら何やら

 ・感想戦などのコミュニケーションの不足

ものすごく思い付きの部分もあるので、実際の問題はどれなのか、あるいは本当にそれは問題なのか、少しずつ考えていきたいところです。

 

まあでも、たまにげんなりするときがあったとしても、やっぱりTRPGが好きで、事前の準備でセッションが楽しくなるのなら多少の手間は苦じゃないんですけどね!